1975年から1989年までに、佐賀県北方町、白石町、北茂安町、武雄市の半径20キロの地域で7件もの女性の殺人事件が発生した。
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佐賀女性7人連続殺人事件とは
1975年から1989年までに、佐賀県北方町、白石町、北茂安町、武雄市の半径20キロの地域で7件もの女性の殺人事件が発生した。事件の特徴として、以下の点があげられている。
・被害者女性の失踪が水曜に集中していること(7件中、6件)
・夕方から夜にかけて失踪していること
・5件の死因が絞殺であったこと(残り2件は、白骨化しており死因が不明)
1.1975年8月27日(水)、北方町に住む当時中学1年生であったY(当時12歳)が、1人で留守番していた自宅から失踪。1980年6月27日に白石町の小学校プール横トイレの便槽の中で遺体で発見された。
2.1980年4月12日(土)、白石町に住むH(当時20歳)が、1人で留守番していた自宅から失踪。約2ヶ月後の6月24日、町内にある小学校の便槽から遺体で発見された。本件のみ、水曜日ではない。
3.1981年10月7日(水)、白石町に住む近くの工場の従業員であったI(当時27歳)が失踪。同月21日に中原町の空き地で絞殺遺体で発見された。
4.1982年2月17日(水)、北茂安町の小学5年生A(当時11歳)が下校途中に何者かに首を絞められ殺害され、翌日に絞殺遺体で発見された。
5.1987年7月8日(水)、武雄市の飲食店従業員H(当時48歳)が失踪、1989年1月27日に北方町大峠の崖下で遺体で発見された。以下の2件の遺体も同時に発見されており、3件をまとめて「北方事件」と呼んでいる。
6.1988年12月7日(水)、北方町の主婦N(当時50歳)が失踪。
7.1989年1月25日(水)、北方町の会社員Y(当時37歳)が失踪。
Wikipedia
4件目までは、捜査機関が犯人を起訴できずに公訴時効が成立。残り3件「北方事件(きたがたじけん)」は起訴されたが、無罪が確定し、7件とも未解決事件となった。
佐賀女性7人連続殺人事件
2人目の失踪直後の4月16日、父親宛てに「娘ハ帰ラナイダロウ、オ前モ苦シメ」という内容の差出人不明の手紙が届く。
また、同じ頃には「人捜しのテレビ番組に出るな」「律子さんの写真を出すな」といった内容の電話が若い男の声で数回かかってきていたという。
6人目の失踪から1週間後の昼ごろ、清美の自宅に中年男性の男の声で電話がかかってきて夫の忠雄が話をしている。
中島宅の電話には録音装置を設置しており捜査員も同席していたとのこと。
中島「もしもし、中島です」
「奥さん、見つかったそうですね」
中島「えっ?」
「よかったですね」
中島「一体どこで見つかったんですか」
「焼米(やきごめ)のほうでしょう」
(少し沈黙)
中島「あなたはどちらさまですか」
「あんたの知った人間だ」
俺は今回、犯人と思われる人間が、某所に郵送してきた脅迫状(警察には言わなかった)を入手した。問題はそいつの筆跡を入手することで、これがめっぽう手間取った。でも会社の当番の時、日誌に自筆の書き込みをすることが分かって、なんとか日誌のコピーを手に入れた。おそらくこいつはまだ生きてる。
— 鈴木智彦 TOMOHIKO SUZUKI (@yonakiishi) 2016年7月26日
ネット上の反応
佐賀県警無能とか言われててかわいそうなの。交通事故もそうだけど未解決事件が多すぎるの。
— きなまつ@せいぎのこころ (@ssoyflour) 2016年11月4日
個人的に未解決事件だと佐賀女性七人連続殺人事件がこわい
— 伊田アサトウ (@idaasatou) 2016年8月23日
千葉さんがいうように匿名性に埋没できない佐賀県の、典型的な田舎のコミュニティの中で、小学生、中学生を含む7人の女性が殺され、全部が未解決なんて理解できない。ただし事件の舞台となった一帯は、白(米)と黒(石炭)で栄えた街と呼ばれてたみたい。一般的な農村地帯とはちょっと事情が違う。
— 鈴木智彦 TOMOHIKO SUZUKI (@yonakiishi) 2016年7月27日
未解決事件でゾッとするのは長岡京のワラビと佐賀の魔の水曜日。とくにワラビ。ワラビやべぇトラウマ。あと福島の便槽内怪死事件もあかん
— 3月は育成するあひる (@ahiruuuuuuuu) 2015年12月13日
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